変わらぬ味へのこだわり

味の川上屋

(取材:ゆかりん)

「味の川上屋」の看板に偽りなし!

「いらっしゃい。今日は何にしましょう」


 食料品店、川上屋では、五十嵐さん夫妻がいつも柔和な笑顔で迎えてくれる。ご主人の実さんが毎朝築地から仕入れてくるピチピチの新鮮な魚をはじめ、手作りのお惣菜や漬け物が所狭しと並ぶ。店の屋上で天日干しにする干物も自慢の一品だ。

 


 黄色い看板にひときわ目立つ赤い字で「味の」川上屋。何よりも味にこだわる。少々値段が高くなっても、素材を吟味し、納得したものしか店には置かない。「商売的には上手でないかもしれないけどね」と、実さん。

 新潟県山古志村で生まれ育った実さんは、同じ新潟出身の先代が開いた川上屋で働くことになり、昭和34年4月6日、SLに乗って上京した。中学を卒業した15歳の春だった。


 故郷の村の食料品店はいつ行っても暇そうで、大声で呼ばないと奥から出てきもしなかった。「食料品店の仕事は楽そうだな」――実さんのその予想はすぐに覆された。到着した次の日、まだ夜も明けぬうちに叩き起こされた。

 

開店当時の川上屋


 開店は朝の5時半。家庭に冷蔵庫などない時代で、近所の人たちが早朝から朝ごはんのおかずを買いにくる。納豆は納豆屋へ、豆腐は豆腐屋へ仕入れに行って 店に戻ると、飛ぶように売れた。朝のお客が一段落したと思ったら昼食用、それが済むと夕食用と、休む間もない。夜も銭湯帰りのお客のために、11時半頃ま で店を開けていた。

実さんは⿂と漬け物、安也⼦さんはお惣菜担当。夫婦円満の秘訣は「相⼿の領分を侵さないこと」

実さんの実直な働きぶりが認められ、昭和44年、結婚と同時に先代から店を譲り受けた。


 方南町から嫁いできた妻の安也子さんも、あまりの忙しさにびっくり。実家は酒屋で、商売の大変さはわかっているつもりだったが、「こんなに忙しいとは思わなかった。一生分どころか、二生分働いたんじゃないかしら」。


 そんな安也子さん、結婚するまで豆を煮たこともなければ、包丁もろくに握ったことがなかった。お惣菜を任されることになり、料理を一から勉強した。先生 は商店街のおかみさんやお客さんたち。「今日の豆は固い」「煮物の味が薄すぎる」と、皆が姑のように口うるさく言ってくれる。その「愛のムチ」で、料理の 腕はめきめきと上達した。

 

 今では常に10種類以上のお惣菜が並び、売れ残ることはほとんどない。「この味が好き」と遠くから通ってくるファンも多い。「お客さんに育てられたのよ」と、安也子さんはどこまでも謙虚だ。

 


 子どもの誕生をきっかけに、川上屋に新しい風が吹いた。子どもが小さいうちは、実さんがおんぶして店に立った。お風呂に入れるのも実さんの役目。まさに元祖イクメン。


 日曜日を定休日にしたのも、和田商店街では川上屋が初めて。姑のような商店街のおかみさんたちには「商人にあるまじき」と散々怒られたが、「子どもといっしょに過ごすため」と、意にも介さず。古い考えにとらわれない店のあり方を、川上屋が示した。

 目が回るように忙しかった商売も、時代の移り変わりとともにゆっくりに。最近ではお客さんとの付き合い方も変わった。一人暮らしのお年寄りに商品一つから配達する一方で、若いママさんが店を訪れると、声をかけずに買い物を見守る。「今の若い人はスーパーでしか買い物をしたことないから、声をかけられるとびっくりしてスーッと出ていっちゃうのよ」。


 お客さんに寄り添い、家族を守り、少しずつ姿を変えてきた川上屋。変えないのは味へのこだわり。五十嵐さん夫妻は今日も笑顔で店に立つ。

 

 深い庇(ひさし)に遮られ、お店の中がなかなかうかがい知れない川上屋さん。気にはなるけど敷居が⾼くって…という⽅も多いのでは。


 かくいう私もそうでした。勇気を出して⼀歩⾜を踏み⼊れれば、確かな味と五⼗嵐さん夫妻の優しさに、もっと早く⼊ってみるんだったと後悔するほど。

 美味しい⿂の⾷べ⽅から、⼦育てのアドバイスまでもらえます。


 お惣菜。わたしの⼀押しは菜の花鰊(にしん)。
 ごはんのお供にも、お酒のつまみにも最⾼です!

(2012.03.07 ゆかりん取材)