「荒井不動産」というと、「あの強面のご主人が・・・」と言われるほど“街の顔”になっている。それが、何と33年前にテーラーから転業したというから驚きだ。
私たちの緊張を一気に解いてくださった荒井優さん
--ちらりと店内を覗くと、噂通りのちょっと頑固そうなご主人が一人、黙々とPCデスクに向かっていた。
意を決して恐る恐る店内に入ると……「わだっち新聞は何号目まで発行しているの?」と意外にもご主人の方から気さくに声をかけてくれた。
お客さんを真似て不動産屋に
5人兄弟の末っ子の荒井優さん。大学卒業時、テーラーだったお父様が体調を崩し、後を継いでテーラーの道へ。専門学校で技術を習得し、オーダーメイドの紳士服を仕立てた。当時、お店には何人もの職人さんが住み込みで働いていたという。
赤字に白いロゴで存在感たっぷりの荒井不動産
そんなご主人が畑違いの不動産業に転身したきっかけは、お客さん。テーラーのお客さんに不動産業の方がいらして、「これなら自分にもできるんじゃないか?!」と最初は兼業で不動産業を開始。当時、目の前に不動産屋さんがあった状態で開業したというから驚きだ。
不動産業はあれよあれよという間に軌道にのり、2足のわらじ生活はたった4~5年で終わり。テーラーをたたんで、不動産業が本業になった。今から33年前の話だ。
華麗なる転身のわけは?
こんなにもスムーズに事業を転換できたのには訳がある。
というのも、優さんは生粋の和田っ子。子供の頃から和田商店街で育った優さんには「地の利」と「人脈」があったのだ。荒井不動産の商売圏は【歩ける範囲】。和田の街は優さんにとって、子どもの頃から慣れ親しんだ「庭」みたいなもの。「どこになにがある」「誰が住んでいる」といった不動産業に必要な情報がすべて頭に入っているのだから鬼に金棒だ。
また、人当りの良い優さんはテーラー時代から地域の人々と密接な交流があり、近所をぐるっと一周、声をかけて回るだけで情報が入ってくるのだ。不動産業というのはお客さんと大家さんの橋渡し。地域に密着した優さんだからこそできる丁寧な管理業務も荒井不動産の魅力だ。
商店街に野球チームが?!
今では考えられない「秘話」もある。
昔、和田商店街はとても栄えていて、地域の人と商店街との繋がりも深く、なんと野球チーム」を組んで、杉並区で1位になったこともあるという。五六八のご主人、ローソンのご主人、セブンイレブンのご主人、地域の方々とナインを組んで、早朝仕事の始まる前に練習。
「俺のポジションはオールマイティ!どこでもやったよ」と懐かしそうに語る優さんの笑顔は、まるで少年のように輝いていた。
時代は流れて…
時代の流れとともに、不動産業も少しずつ変化してきた。
昔はウィンドウの物件情報を見て、お客さんが来店してきたが、今ではネットの情報が主流だ。少し前に「和田中学校」が話題になってからは、和田中の学区内を希望するお客さんが増えた。また、最近は車を持つ人が少なくなった為、駐車場の契約が減った等々。
時代の変化に合わせて努力を惜しまなかった荒井さんの笑顔には深みがある
優という名前のとおり、「優しい」ご主人。
変わっていく街並みのなかで、変わらず地域密着営業を続けていける秘訣-―それは、ここ荒井不動産にいつも優しい笑顔があるからかもしれない。
強面だけど優しい?!と評判の荒井不動産のご主人。 取材前は緊張と不安でいっぱいでしたが、終始笑顔で対応いただき、リラックスしてインタビューすることができました。 不動産業を通じて和田の街を長年見守り続けてきたご主人の言葉には、和田への愛が溢れていて、まさに地域密着なお店でした。
2013.7.4 (取材:まりっぺ)